おわるとらくだ

2月28日に、単独で設置していた全ての罠を引き上げた。京都では3月15日までシカとイノシシを対象とした延長期間が設定されているが、3月は色々と忙しい上に、私の場合は花粉症の症状が出始めるので、野外で作業をするのが辛くなるのだ。ただし、3月末まで許可の下りている鳥獣保護区での有害鳥獣駆除に加え、他の狩猟者と共同で設置している罠については、交代で見廻りをしている都合上、少数ながらまだ設置してある。今猟期中は積雪が多かったのに加え、突然の体調不良で2,3日ダウンしていたため、罠を掛けていた100日強のうち、10日程度は見廻りをしなかった日があったが、それでも基本毎日と言える見廻りの務めから開放される期間はありがたい。今のうちに、狩猟以外の仕事や用事を早急に片付ける必要がある。

どうぶつあいご

動物愛護に関する私の考えを書きたいと思う。

まず前提として、狩猟鳥獣である野生のシカやイノシシは、動物愛護法 (正式には動物の愛護及び管理に関する法律)の第四十四条 4で定められている愛護動物に該当しないので、どんな殺し方をしても、この法に触れるということは無い。狩猟に関するウェブサイトを見ていると、特定の方法 (鈍器で殴る等)で狩猟鳥獣を殺すことが動物愛護法に触れる可能性がある、などと書かれていることがあるが、間違いである。

殴り殺す、生きたまま皮を剥ぐ、水に浸けて溺死させる、餓死させる、といった処理は残酷な方法として槍玉に挙がることがあるが、いずれも狩猟鳥獣に対しては (捕獲の許可を持っていれば)合法的に行える行為である。

私がこれまで狩猟中に行ってきたことで、動物愛護の観点から批判を受けそうな行為の中には、「金槌や鉄棒で獲物の頭を何度も殴る」、「獲物がまだ息をしている段階で抜歯 (捕獲報告に必要)や肉の切り取りを行う」、「捕獲された獲物を放置して死亡に至る」といったものがあるが、いずれも問題ないと考えており、今後も必要があれば同じことをするつもりである。これらの行為にはいずれも合理的な理由があるからだ。「金槌や鉄棒で獲物の頭を何度も殴る」のは、銃が使えない場所で動物の動きを弱めるのに必要であるし、「獲物がまだ息をしている段階で抜歯や肉の切り取りを行う」のは、処理にかかる時間を短縮するためである。「捕獲された獲物を放置して死亡に至る」のは、その時の時刻や天候によって安全に処理を行うのが難しい場合である。

私が狩猟を行うのは、動物の肉・骨・角・皮などを採取するためであり、そういった目的のために動物が死ぬという結果が同じならば、その過程で動物がいかに苦しむかということは、私にとってあまり重要な問題ではない。動物がいかに苦痛を感じようとも、私にとって都合の良い処理方法であれば、それを採用する。

とは言っても、私は愛護動物に限らず、動物を「みだりに殺し、又は傷つけ(る)」(第四十四条 1より)ことは避けるべきだと思っている。ただし、それは動物のためではなく、人間のためである。私は動物を殺すことに対して殆ど苦痛を感じないが、同時に、殺すことで快感を得ることもない。しかしながら、人によっては動物を殺すことである種の興奮や快感を覚える場合があり、そういった人々が動物を「みだりに殺し、または傷つけ(る)」行為が社会の中で表面化してくると、動物を殺すことに対して嫌悪感を感じる人々に精神的苦痛を与えることになる。場合によっては、動物を殺傷する行為がエスカレートして、他人の身体に害を及ぼす行為に至る可能性も考えられる。

ある種の職業では、その職種に必要不可欠な行為・環境に対する耐性が求められると言われている。簡単な例を挙げると、いわゆる単純作業に対して、ストレスを感じやすい人と感じにくい人がいるようである。あるいは、一人で作業するのが精神的に楽だと感じる人と、一人では孤独で不安になるという人がいる。このような適性の違いについて言うと、私は自分自身について、動物の生命を扱うことに対する耐性が高い人間だ、と考えている。現代日本において多くの人は私のような耐性を持っていないので、動物を愛護することで精神的安定を享受するのが良いと思うが、私は今のところ動物の生命を奪うことに対する耐性を維持しており、狩猟によって苦痛を感じたり不適切な快感を感じることもないので、法律に違反しない範囲であれば、他の人たちと同じ基準で動物愛護をする必要はないと考えている。

ここまでの文章を無理矢理まとめると、まず、動物愛護は動物のために行うというよりは、むしろ人間社会のために行う必要がある。そして、動物の生命を扱うことにより精神的な害を受けるリスクの少ない人間は、他の人に与える精神的苦痛に配慮しつつも動物の苦痛に配慮する必要はない。……というのが私の考えである。

ばいくのりてん

前の記事で、私が罠の見廻りに使っているカブを紹介したが (参照: しゅりょうばいく – 狩場の馬鹿力)、今回は見廻りに原付を使う利点について書こうと思う。

狩猟者が最もよく使っていると思われる、軽自動車 (軽トラ、ジムニー等)との比較で話を進めて行く。

まず第一に、二輪は費用が安い。購入費も維持費も燃費も、原付は軽トラに比べて圧倒的に低い。燃費について考えてみると、軽トラやジムニーで実燃費が20km/Lを超えるのは困難であるが、カブなら50km/Lは余裕で超えることができ、原付二種の範囲なら公称燃費は概ね50km/L以上あるので、軽自動車を使うのに比べてガソリンの消費を抑えることができる。

第二に、二輪は見廻りが速い。普通、罠の見廻りで高速道路を走ることは無いと思うので、法令速度を守る前提なら、軽自動車でも原付二種でも、制限速度60km/hまでの一般道で出せるスピードは同じである。私の乗っている70ccのカブでは、上り坂で加速が不十分と感じる場面も多々あり、軽自動車の方が速そうにも思えるが、一般道での速度差は、林道で消費する時間の差に比べれば、微々たるものである。一度未舗装路に入ってしまえば、積雪が無い限り、二輪の方が圧倒的に取り回しが良く、短時間で罠をチェックできる。その理由として、車体が小さいために軽自動車よりも林道の奥まで入って行きやすく、転回も場所を選ばず可能で、障害物を交わして走行に適したラインを選べばスピードを出しやすい、といったことが挙げられる。加えて、車 (原付)を降りて罠を見に行く際は、長靴を履く場面が多いと思うが、一般的に長靴を履いたまま自動車の運転をすることは推奨されず、車を降りる度に靴を履き替える必要があるが、二輪の場合は長靴を履いたままで運転に支障のない車種がほとんどなので、履き替えが不要で時間を短縮できる、というのも重要な差である。

そして第三に、二輪はすれ違いや置き場所で困らない。林道やそれに続く舗装路は、軽自動車同士ではすれ違えない場所が多いが、軽自動車と二輪なら余裕を持ってすれ違える場面が多く、そうでなくても二輪は転回が容易なので、細い道で他の車と出会ってもスムーズである。地元の人や同業者とすれ違うときに迷惑をかけないというのは、気持ち的にだいぶ楽になる。

逆に欠点としては、積載可能量が少なくシカやイノシシといった獲物を丸ごと運ぶことができない (私は二輪で牽引できるリヤカーを持っているが、毎回の見廻りで引っ張るわけにはいかない)、という当たり前の点に加え、悪天候時の快適性、積雪時の走破性では4輪の自動車にとても敵わない。また、若いうちはいいが、歳を取って反応速度が落ちてくると二輪の運転はキツい、というのも問題である。