まずはいっぴき

罠にかかったニホンイノシシ♂2014/11/19、猟期5日目にして早くもイノシシがかかった。罠はオーエスピー商会のしまるくん (12cm)。昨シーズンも猪が獲れた獣道であり、今期もしっかりした割れ (師匠は獣道のことをこう呼ぶ。谷を横切っている箇所は”渡り”と呼ぶ)だったので期待はしていたが、予想以上に早い捕獲であった。

罠にかかって止めさしされたニホンイノシシ♂今回も師匠に来ていただき、罠にかかったイノシシは銃で撃ってもらった。遠くから見た私の目測では60kg程度だったのであるが、実際に撃たれて死んだものを運ぶと軽く、せいぜい40kg程度であった。ワイヤーは左前脚の副蹄より上にかかっていたので、理想的な弾き方であったと思われる。

撃たれて死んだニホンイノシシ♂昨シーズン獲れた100kg級の♂と比べると、肉は柔らかくてクセも少なく、非常に食べやすかった。ただし脂はあまり蓄えていなかったので、脂身は薄く、イノシシらしさがかけていると言えば欠けている。

きけいがだいすき

稀有で神々しい金色イノシシは射殺される: 新・新・優しい雷(復刻あり) – [1]
何のために・・4本角鹿射殺: 新・新・優しい雷(復刻あり) – [2]

 どうやら上記Blogの著者であるyutan氏は、動物の突然変異に対し愛着があるらしい。[1]では毛が金色のニホンイノシシ、[2]では4本の角があるニホンジカをそれぞれ狩猟で殺したことに対し、それぞれこう書いている。

[1]
いったい、彼らに自然を畏怖し感謝する心があるのでしょうか?いや、愚問でしたね。世にも稀な金色イノシシを撃ち殺す神経は所詮は娯楽で殺生を楽しむ方々のそれだと思います。

[2]
「初めて見た」と驚くぐらいなら最初から殺さないとの選択肢はなかったのでしょうか?

 残念ながら[1]の方は、元の記事ページで写真が現在見れないようなので、どれくらい金色だったのか不明であるが、[2]については、

シカに4本の角 田辺で捕獲 – AGARA紀伊民報 – [3]

で今のところ閲覧が可能である。

 さて、冒頭にリンクを張った記事におけるyutan氏のコメントは、私からすれば呆れてものが言えないという感じである。これについて論じる前に、まずニホンジカとイノシシの個体数推定に関して、よく使われる資料を挙げておこう。

統計処理による鳥獣の個体数推定について – 環境省自然環境局 – [4] (PDF形式)

 この[4]によれば、(個体数推定には色々な問題があるだろうが)本州におけるニホンジカの生息数は2011年度で261万頭 (155-549万頭が90%信頼区間)と推定されている。そして捕獲数は27万頭 (これは申請された捕獲数なので、密猟が多くなければ概ね正しい数値のはず)である。ということは、生息個体数の概ね10% (90%信頼区間で考えれば5%~17%)が、人間の手によって捕獲されていることになる。イノシシに至っては約44%だ。この捕獲圧は決して低いものではない。

 ここで、[1][2]で紹介されている様な表現型の個体がどういった頻度で発生するのか、またその形質が遺伝的なものであるか否か、ということについては情報が無いのであるが、もし遺伝的なものであると仮定すると(遺伝的でないなら、それこそ自然界に残しておく価値は無い)、全国のハンターがそれら稀な表現型の個体を捕獲しないという取り決めを設けた場合、世代を重ねる毎にその表現型を持った個体の割合が増えることが予想される (もっとも、これは多くの仮定を踏まえた場合の話であり、例えばそれらの形質が個体の適応度にマイナスの影響を与えている場合はその限りではない)。

 つまり何が言いたいかというと、稀な形質の個体だからといって殺さないという判断をすることは、野性の個体群に対し人為選択をかけるという行為に他ならない、ということである。

 ……などと書いてしまうと、そもそも狩猟鳥獣と非狩猟鳥獣を定め、さらに各ハンターが特定の獲物を狙って特定の方法により狩猟をすることは人為選択でないのか、という話になるが、「それはそれ、これはこれ」である。自然界の資源を活用する、あるいは害獣の被害を軽減するという目的において、現行の制度は妥当であると私は思う。

 まぁそもそも、[1]と[2]の記事を書いているyutan氏には、私が書いた遺伝に関することなどは理解できないかあるいは理解したくもない話であって、ただ単に珍しい表現型に「神々し(さ)」([1]より)を感じただけであろうと思う。しかし、ハンターであろうとなかろうと、特定の表現型程度に対して崇敬の念を抱くのは勝手であるが、だからといってその個体を捕獲することを批難するとは、それこそ勝手な行為である。もし、なるべく人間の手が入らない”自然”を至高のものと考えるのであれば、狩猟においても捕獲対象の遺伝型に偏りが出ないことが望ましいのであり、yutan氏が主張するような「自然を畏怖し感謝する心」([1]より)はまやかしであるとしか言いようがない。

にとうめのえもの

ニホンイノシシ♀

 2014年01月31日、私の設置していた罠に2頭目の獲物がかかった。ニホンイノシシである。今回は推定80kg、3歳 (師匠談)の雌である。

 罠を設置していたのは小川付近の獣道で、どうやら川を横切る際の主な経路になっていたようだ。師匠はそういう獣道を「渡り」と呼んでいる。イノシシやシカが生息している山に入れば、獣道を見つけることは難しいことではないが、罠を設置するのに都合がいい場所はそう多くない。獣が頻繁に利用する獣道で、罠の設置がしやすく (土がある程度柔らかい、ワイヤーを取り付けられる木がある、等)、なおかつ見廻るのも楽な場所が最適である。今回、イノシシがかかったのも、師匠が見定めた場所に設置した罠である。前回かかった場所と合わせて2箇所がその師匠と一緒に仕掛けた場所で、それ以降は自分で考えながら罠を仕掛ける場所を決めているので、次に罠にかかるとすれば、本当の意味で自分で獲ったということになろうかと思う。