けがれをしらぬ

2018/04/11にニホンジカ♀を檻で捕獲した (有害鳥獣捕獲)。3月中は花粉症もあり、罠の数を減らしていたこともあり、1月末以来久しぶりの捕獲となった。

今回捕獲した♀は、腹のなかに胎児がいた。胎児の状態は、昨年5月8日に捕獲した個体の胎児と比較して、あまり変わらないように見えた (参照:こしがいたいのに – 狩場の馬鹿力)。他の狩猟者から、今年のシカは子を早い時期に宿しているようだ、という情報も得ていたが、実際のところはどうなのだろうか。

今回の胎児は綺麗な鹿の子模様がついていたので、毛皮を取り加工することにした。毛皮は小さい個体のものほど柔らかくなると思われるが、胎児はその極みである。私が取り出すまで、外の世界に一度も出たことのない綺麗な皮である。

こんがらがった

現場近くに住む人から連絡があり駆けつけたところ、ニホンジカ♂が農業用ネットに絡まった挙句、水路に落ちて這い上がれなくなっていた。このように、シカ・イノシシ用の防除ネットにシカが絡まってしまうというのは珍しいことではない。絡まるのは角を有す♂である場合が多いが、角の無い個体でも、ネットを飛び越えたり潜り抜けたりしようとして、足や首が絡まるか、あるいは着地に失敗し怪我をするなどして身動き取れなくなっていることがある。山中で林業用に設置されたネットの場合などで、絡まってからすぐに発見されないでいると、おそらく数日で死に至るので、白骨化してから発見されることもある。

わなのいきかた

自立した社会人 (1年目)として働きながら、罠猟を続けている私の生活スタイルについて書こうと思う。

普通に考えて、日中にフルタイムの職に就いている人は、罠猟を単独で行うことは困難である。自宅の裏庭に檻を1つ置く程度であれば、一般的なサラリーマンとして働きながら罠を運用することもできるだろうが (同じ猟友会にもそうしている方がいる)、5個とか10個とかの罠を毎日見廻るとなると、それだけで結構な労働である。早起きをしたり昼休みに出て見廻りが可能だとしても、捕獲があった場合にどうするかが問題になる。

たまに、であれば他の狩猟者に頼んで処理してもらうのも良いが、一週間のうち自分で処理できるのが1,2日では、罠猟を主導的に行っているとは言いがたい。

連続して罠を設置するのであれば、最低でも週に5日、半日以上予定を空けられる日が無いと厳しいと感じる。それが無理なら誰かと共同で設置して、見廻りや処理を分担せねばなるまい。

私は大学院生の時に罠猟を始めたが、卒業後も罠猟を続けたかったので、フルタイムの職に就くことは端から検討していなかった。学生時分も、アルバイトは連絡すればすぐに休めるもの、出勤日を変更できるものしか基本的にはしていない。

現在の私は狩猟以外の仕事を3つ掛け持ちしているが、メインの職は出社するのが週2回半日で、あとは在宅である。これに週1半日の副業が1つと、月2,3回全日の副業を1つしている。最後に挙げた月2,3回全日の仕事がある日は、流石に捕獲があった場合の処理が難しい(暗くなるのが早い冬季は特に)が、それでも見廻りは出勤前に行えるし、それ以外の日はほぼ毎日、半日以上空けられるようになっている。

収入は前述の3つの仕事を合わせて、手取りが約20万円。それ以外の収入が年に50万円程度で、年金と健康保険料はメインの仕事で給与から支払われている。派手な暮らしはできないが、これなら地方都市で一人暮らしをするのには十分である。

自分で言うのもなんであるが、私はそれなりにいい大学を出ているので、大企業でフルタイムの仕事に就けば、今の歳でも年収500万円くらいは十分期待でき (私は社会人1年目だが、大学の博士課程3年を終えてからなので、同世代は修士卒で4年目、学部卒なら6年目である)、最終的には年収1500万円程度を目指せると思うのだが、今の生活スタイルを続けようと思うと、年齢に応じて多少収入が増えても、年収は500万円程度までしか増えないと予想している。

しかしありがたいことに、私の両親は安定した収入を得ていて借金がなく健康、私自身も目立った健康上・金銭上の問題を抱えていないので、なんとしてでも稼がなければという圧力が無い。日中に自由な時間が持てる生活だと、銀行や役所に行くのも簡単である。何より好きなことを続けられる生活というのは、ストレスに耐えながら高収入を得るよりずっと楽しい (と思う)。

このように、仕事をしながらちゃんと罠猟をしようと思うなら、自由な時間を日中に確保するため、割りきった職の選択が必要である。在宅、短時間の出社、あるいは自由に休みをとれる仕事に就こうと思えば、それなりに技術を持っていないと難しいだろう。フルタイムに比べて低収入になるのも仕方ない。しかしこれが私の罠猟師として選択した生き方である。まだ仕事をしながらの罠猟は1年目なので、今後どうなっていくかは分からないが、折に触れて経過を報告したいと思う。