きけいがだいすき

稀有で神々しい金色イノシシは射殺される: 新・新・優しい雷(復刻あり) – [1]
何のために・・4本角鹿射殺: 新・新・優しい雷(復刻あり) – [2]

 どうやら上記Blogの著者であるyutan氏は、動物の突然変異に対し愛着があるらしい。[1]では毛が金色のニホンイノシシ、[2]では4本の角があるニホンジカをそれぞれ狩猟で殺したことに対し、それぞれこう書いている。

[1]
いったい、彼らに自然を畏怖し感謝する心があるのでしょうか?いや、愚問でしたね。世にも稀な金色イノシシを撃ち殺す神経は所詮は娯楽で殺生を楽しむ方々のそれだと思います。

[2]
「初めて見た」と驚くぐらいなら最初から殺さないとの選択肢はなかったのでしょうか?

 残念ながら[1]の方は、元の記事ページで写真が現在見れないようなので、どれくらい金色だったのか不明であるが、[2]については、

シカに4本の角 田辺で捕獲 – AGARA紀伊民報 – [3]

で今のところ閲覧が可能である。

 さて、冒頭にリンクを張った記事におけるyutan氏のコメントは、私からすれば呆れてものが言えないという感じである。これについて論じる前に、まずニホンジカとイノシシの個体数推定に関して、よく使われる資料を挙げておこう。

統計処理による鳥獣の個体数推定について – 環境省自然環境局 – [4] (PDF形式)

 この[4]によれば、(個体数推定には色々な問題があるだろうが)本州におけるニホンジカの生息数は2011年度で261万頭 (155-549万頭が90%信頼区間)と推定されている。そして捕獲数は27万頭 (これは申請された捕獲数なので、密猟が多くなければ概ね正しい数値のはず)である。ということは、生息個体数の概ね10% (90%信頼区間で考えれば5%~17%)が、人間の手によって捕獲されていることになる。イノシシに至っては約44%だ。この捕獲圧は決して低いものではない。

 ここで、[1][2]で紹介されている様な表現型の個体がどういった頻度で発生するのか、またその形質が遺伝的なものであるか否か、ということについては情報が無いのであるが、もし遺伝的なものであると仮定すると(遺伝的でないなら、それこそ自然界に残しておく価値は無い)、全国のハンターがそれら稀な表現型の個体を捕獲しないという取り決めを設けた場合、世代を重ねる毎にその表現型を持った個体の割合が増えることが予想される (もっとも、これは多くの仮定を踏まえた場合の話であり、例えばそれらの形質が個体の適応度にマイナスの影響を与えている場合はその限りではない)。

 つまり何が言いたいかというと、稀な形質の個体だからといって殺さないという判断をすることは、野性の個体群に対し人為選択をかけるという行為に他ならない、ということである。

 ……などと書いてしまうと、そもそも狩猟鳥獣と非狩猟鳥獣を定め、さらに各ハンターが特定の獲物を狙って特定の方法により狩猟をすることは人為選択でないのか、という話になるが、「それはそれ、これはこれ」である。自然界の資源を活用する、あるいは害獣の被害を軽減するという目的において、現行の制度は妥当であると私は思う。

 まぁそもそも、[1]と[2]の記事を書いているyutan氏には、私が書いた遺伝に関することなどは理解できないかあるいは理解したくもない話であって、ただ単に珍しい表現型に「神々し(さ)」([1]より)を感じただけであろうと思う。しかし、ハンターであろうとなかろうと、特定の表現型程度に対して崇敬の念を抱くのは勝手であるが、だからといってその個体を捕獲することを批難するとは、それこそ勝手な行為である。もし、なるべく人間の手が入らない”自然”を至高のものと考えるのであれば、狩猟においても捕獲対象の遺伝型に偏りが出ないことが望ましいのであり、yutan氏が主張するような「自然を畏怖し感謝する心」([1]より)はまやかしであるとしか言いようがない。

にじみでるあくい

錯誤捕獲→射殺→クマ肉販売@岐阜: 新・新・優しい雷(復刻あり) – [1]
「括り罠設置現場で銃猟捕獲したクマ」岐阜県御回答: 新・新・優しい雷(復刻あり) – [2]
「括り罠設置現場で銃猟捕獲したクマ」岐阜県御回答(2): 新・新・優しい雷(復刻あり) – [3]

 読者の誤解を避けるため、同一の記事に書くべきでは?とは思うが、記事を細切れで書いて推定を多く挿むというのはこのBlogでは常套手段のようである。単純に読み物としても面白いので、狩猟に関心がある人は、読んで損が無いと思う一連の記事である。

 私が感じたのは、とにかくこれらの記事の著者(yutan氏)は面倒な奴であるということだ。[2]で示されたyutan氏の質問と岐阜県環境生活部の回答についてはあまり問題が無いが、[3]で示されたyutan氏の質問内容と、その回答に対する意見を読むと、「面倒な奴だ」という感想以外出てこない。[3]には「未掌握の場合、掌握されたしです。」という文言が多数登場するが、これを読んだ岐阜県の担当者はイラっと来たに違いないと私は思う。

 例えば[3]で、

Q2
狩猟者の中には括り罠に撒き餌を撒く方々もいらっしゃるそうですが、当事案の場合、どうだったか御掌握はされていますでしょうか?未掌握の場合、掌握されたしです。

A2
使用されていません。

(中略)

各御回答について現時点での私の所見を以下に述べましょう。

(中略)

A2
上記同様、実際に確認されたのか、聴き取りの結果なのか定かではありません。

とあるのだが、この撒き餌が云々というのは、今回の主要な論点とは少し離れている。[2]には、

かりそめにも人の存在に気づかずに出てきた場合、狩猟者は括り罠誘導のための寄せ餌を付近に撒いていなかっいたでしょうか?寄せ餌がなされていたのであれば本来の誘導目的が裏目に出た可能性の有無なども県当局は検証すべきではないでしょうか?

とあるが、たとえ寄せ餌が使われていたとしても、クマが実際に寄せ餌に誘引されたのか確かめるなど不可能である。「イノシシ用の寄せ餌があってその付近にクマがいたのなら、それはクマが寄せ餌に誘引されたのではないか」、という推論を行うことは自由であるが、その推論を行ったところで、意味のある行動決定には至らない。検証すれば何でも分かるだろう、と考えるのは愚かである。

 同様に、前述の[3]における記述も、

A2
上記同様、実際に確認されたのか、聴き取りの結果なのか定かではありません。

とあるが、この書き方だと、聞き取り調査では不十分で実地検分が必要だという見解に見える。そもそも、括り罠の周辺に撒き餌をすること自体には違法性が無いのであるから、撒き餌は取り立てて隠蔽する必要のある行為ではない。そして、もし撒き餌をしたかどうかが非常に重要な問題で、狩猟者の言葉が信頼できないとしても、クマが出没した周辺一帯に全く撒き餌がなされていなかった、と結論付けるため行政が「実際に確認」するというのはどう考えても非現実的である。ちょっと考えれば分かるようなことが、yutan氏には理解できていない(or 持論展開のため無視している)。想像力の欠如である。

 もし、今回のyutan氏がしたような質問に、狩猟が行われた地域の行政が毎回答えなければならないとすれば、聞き取り調査に限ったとしても、本当に面倒な話で、現実的ではないと言わざるを得ない。[1]で、「イノシシ用の罠にクマがかかって殺されたのではないか?」と疑問を抱くのは当然であるし、その結果(2)で示されたような質問をするのはそれほど不自然なことではないと私は思う。しかし、[3]で示されたyutan氏の質問内容を見ると、上で書いた撒き餌の件に限らず、なんとか粗探しをして(推測を差し挟み)非難してやろうという意気込みを抱いているようにしか思えない。しかも、[3]では岐阜県環境生活部の回答に悪意のある推定とケチをつけた状態で終わっており、それ以上の後記が無いことと記事の投稿日時を鑑みるに、岐阜県環境生活部との文面によるやり取りを終えていると見られる。こういう書き方はフェアではない。

せんせんふこく

 新・新・優しい雷(復刻あり)

 というBlogがある。このBlogの著者は狩猟に対して否定的であり、狩猟に関する問題を頻繁に取り上げている。場合によっては、行政に質問状や提案を送るなど、かなり積極的に活動している様子が読み取れる。

 確かに、狩猟に関しては様々な問題が生じている。上記のBlogでもよく掲載される銃の誤射や犯罪利用、その他違法な狩猟については言わずもがなであるが、捕獲した鳥獣の肉などを利用することや、有害駆除に絡む金銭のやり取りなど、問題の種は多い。

 とはいえ、このBlogの著者は少し行き過ぎているように思う。狩猟を「娯楽」と決め付け、狩猟者を、まともな神経を持たない人間の集団であるかのように扱う記述が散見される。扱っている議題やそれに対する結論も、公平性を欠いているように思える部分がある。なので私はここに宣言するが、今後このBlogを監視対象とし、間違った点や非難すべき点があれば、私の記事内で否定を行うこととする。

 厄介なことに、見たところ上記Blogの著者はそんなに愚かではない。文章もきれいにまとまっているし、持論を展開するという点においては構成も上手い。しかし、だからこそ戦う必要がある。単に「かわいいクマさんを殺すなんてありえな~い」とか書いている無知な発言のように、スルーできないのだ。